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「結果」と「プロセス」

塾長の指導歴から語る 「結果」と「プロセス」

さて、いつも節目の季節になると、毎日のように、いろいろな塾のチラシが朝刊に挟まっています。当塾も、時折、新聞にチラシを折り込ませていただいております。そして、その様な時には、おかげさまで、いろいろな保護者の方から電話が来ます。お電話では、いろいろなお話をさせていただきます。1時間以上にわたることもしばしばです。おそらくは、お子様の勉強についていろいろと悩んでいるからこそ、数多くのチラシを見て、当塾にもお電話くださるのでしょう。細かな内容に関してはさまざまですが、多くの場合、根本的なところでのお悩みは共通しています。では、多くの保護者の方は、いったいどのようなことでお悩みになって、お電話を下さるのでしょうか?

それは、「子供が勉強しない。」ということです。「なかなか勉強したがらない。」ということです。つまり、「学習意欲」がない…と嘆いていらっしゃるのです。これは根本的な問題であり、最も重要なテーマと言えるでしょう。これがなければ、いくら周りが頑張っても、もうどうしようもないのです。

 意欲…英語で言うと、モチベーションでしょうか?テレビでスポーツ番組を見ていると、この「モチベーション」という言葉、盛んに使われています。サッカーや野球、その他、あらゆるスポーツで。これは、要するに、何事を成すにしても、根本的なところで動機づけ、モチベーションが絶対に必要であり、もしそれがなければ、全くの無駄になってしまうと言うことなのです…。

 例えばイチロー選手。世界トップレベルのメジャーリーガー。彼が小学生の頃から毎日バッティングセンターに通いつめていたことは、あまりに有名です。とにかく、毎日通うのです。それで、オーナーの特別なはからいで、プロ並みのスピードールに設定してもらったそうです。それを毎日毎日、何百球と打つ。では、一体なぜ、こんなに頑張れたのでしょうか?

それは、「モチベーション」があったからです。「プロ野球選手になりたい!」という、明白なるモチベーションです。イチローの出身校である愛工大名電(愛知工業大学名電高校)の中村監督が以前、インタビューで言っていました。「イチロー選手は、入学した時から既に、プロを目指していた。だから、本来だったらバッティングで、ただヒットを狙うだけだったら、6割でも7割でも打てただろう」と…高校時代から。だけど、彼はプロを目指していたから、それをしなかった。イチロー本人も「センター前だったらいつでも打てますよ。」と言っていたそうです。だけど、それはしなかった。目的意識の違いなのです。

 「如何にモチベーションが大切か。」とりあえず、これはご理解いただけたと思います。もっと話を進めます。今のイチロー選手に関する逸話の中から、さらに学ぶことが出来ます。

目的を持ったら、その次は何が大切になってくるのでしょうか?ただ「プロになりたい!」という願望だけだったら、多くの子供達が言います。私市場も、確か子供の頃は「プロ野球選手になりたい!」と言っていたような気がします。もちろん、子供ですから、その時々によって「パイロットになりたい、医者になりたい…」とコロコロ変わっていましたが。とにかく、多くの人間は、「~になりたい」あるいは「~したい」というところまでは行くのです。

 問題は、そこからです。イチロー選手の場合、「プロ野球選手になりたい。」という、とてつもなく大きな野望を掲げ、そして、そのために今の自分にとって何が必要か、ということを極めてクールに自己分析し、その大きな野望に向けて、日々淡々と自己鍛錬を続けていたのです。それが「センター前だったらいつでも打てますよ。」と言いながら、敢えてそれをしないスタイルとなって現れたのです。では、要するに、イチローは普通の少年と違って、何が凄かったのでしょうか?

 それは、あくまでも「プロセス」を大切にしたということです。普通だったらどうでしょう?おそらくは、まず間違いなく「目先の結果」を最重要視したはずです。だけどイチローは「目先のヒット」などには一切こだわらず、同じヒットでも将来につながるような、内容の濃い、レベルの高いヒットを求めたのです。これは、口で言うのは簡単ですが、実際実行してそれを貫徹させるのは、並大抵のことではありません。だって、誰だって目先のヒットを量産し、そして、目先の打率などの数字を、アップさせたいではありませんか?そうすれば、監督への猛アピールになります。愛工大名電は甲子園の常連であり、したがって野球部員の数もかなりのものです。レギュラーの座を死守すること自体、それはそれは大変なことです。それに、目先の結果を出すことにより、当然周りからも認められることになり、名誉を手に入れることも出来ます。カッコいいですよ!

 でも、イチローは敢えてそれをしなかった。目先の結果などよりも、彼にとっては格段に高い目標があったから。他の少年達よりも、遥かに強いモチベーションがあったから。それは、「プロになる」ということ。「なりたい」ではなく、「なる」ということ。

今度は名将、野村克也。日本野球界の「超」名監督、知将であり、ここ最近では夫人の「サッチー」の問題により、あらぬ方面で世間から騒がれていたが、06年度のシーズンからは、東北楽天ゴールデンイーグルスの第2代監督に就任し、再び本業で注目されるようになった男である。野村克也、かつては選手としても、歴史に名を刻む「超」一流選手だった。昭和10年生まれ。京都府出身。峰山高校時代は全くの無名。昭和29年にテスト生として南海ホークスに入団。入団して1年間二軍で過ごし、すぐに解雇(クビ)通告。何とか拝み倒して現役続行。その後も1年間は2軍生活。やがて鶴岡監督に認められ、昭和32年にホームラン王。4番捕手として、37年から8年連続でホームラン王。40年には、事実上日本初の三冠王に輝いた。44年からはプレイングマネージャー(選手兼監督)となり、48年に優勝。獲得タイトルは…三冠王1回、MVP5回、首位打者1回、ホームラン王9回、打点王7回、ベストナイン19回、ゴールデングラブ賞1回。通算成績は、安打2901本、打点1988、そして、ホームランは657本である。 特にホームランに関しては、現ソフトバンクホークス監督である王貞治の868本に次ぎ、プロ野球歴代2位の大記録である。その他にも、偉大な記録はまだまだある…。 その後、1990年に、長年Bクラスに低迷していたヤクルトスワローズの監督に就任。ID(インプットデータ)野球をスローガンに掲げ、92年にリーグ優勝、93年、95年、97年には日本一を果たし、「名将」「知将」の名をほしいままにする…。

野球に興味の無い方にはピンと来ないことかもしれませんが、野村克也という男は、日本のプロ野球史上において、王貞治とともに、最高のタイトルホルダーと言っても間違いありません。とにかく、記録がすごい!記録だけで言えば、長嶋茂雄を遥かに凌ぐものがあります。歴代ナンバーワンクラスです。

野村克也は、最も「結果」を残した男の一人である。

06年度シーズンからオリックスバッファローズに入団した、現在の名選手でスーパースター、「番長」清原和博…、実は、主要なタイトルを、ほとんど全く取っていません。このことから考えてみても、野村克也がいかに凄い選手であったかが、よく分かります。

これほどまでに「結果」を残し続けてきた男が、インタビューなどで、良くこんなことを言っていたのを思い出す。それは…

「結果」は、追えば追うほど逃げていくもんや。

皆さん、これを聞いて、一体どう思われるでしょう。何かドキッとしませんか?あれほどことごとく、「結果」を残してきた男が、まさかこんなことを言うとは。意外といえば意外かもしれません。でも、野村克也が言うだけに、妙に説得力がありますよね。これを、ちょっと勉強に置き換えてみましょう。

 皆様がお子様を入塾させた理由は、もうハッキリとしていますよね。テストで「よい点数」を取ってもらうため、そして入試で「合格」させるため。これ以上の理由は無いと思います。当然、我々のような塾人も自分たちの塾生達に、とにかくテストで「良い点数」を取ってもらって無事に「合格」してもらうように、日々全力で指導に取り組んでおり、そのための研究を欠かしません。要するに、お子様に対して保護者の方も講師一同も、常に「結果」を求めています。当然ですよね。そのための塾なのです。ところが…

「結果」は、追えば追うほど逃げていくもんや。

実に、難しいですね。私市場は、今年で塾業界に身を置いて、長い年数が経ちます。今までに、数多くのお子様を指導させていただきました。そして、いわゆる「学年トップ」のお子様も、何人も指導させていただいてきました。その経験から考えて、やはり目の前の点数、「結果」を追いすぎると、追えば追うほど、逃げていってしまうように思います。これはもう、間違いないようです。では、いわゆる「デキる」お子様というのは、そしてその親御様というのは、一体どのような感じなのでしょうか?ちょっと具体例を挙げてみます。

 かつての私の教え子に、Yという生徒がいました。以前、勤務していた進学塾での教え子です。ちょっと彼女の話をしてみましょう…。彼女は、中1の冬期講習明けに入塾しました。K中学校の生徒でした。それから1ヶ月の間、2月の学年末テストに向けて、塾としてミッチリと対策しました。当時は一斉集団指導形式でやっており、テスト前の土日はそれこそ終日の「臨時授業」をバンバンやっていました。彼女は体力があり、遅刻したり休んだりすることは無く、頑張ってハードな授業についてきてくれました。そして結果…。主要5教科の合計点が、380点でした。彼女はもともと大変優秀です。何と、合計で60点以上も下がってしまったのです!あまり言いたくありませんが…。こんなことってあるんですね…。

 そして、まもなく塾定例の三者面談。彼女は母親とともにやってきました。私は…、ハッキリ言います。絶対に、退塾すると思っていました!絶対に。だって、もともと優秀な彼女が、さらにレベルアップさせるために塾に入り、しっかりと試験対策授業を受け、それにもかかわらず、信じられないような得点になってしまったのですから。お母様は、相当お怒りであろうと思いました。よって、私はあらゆる事態をも覚悟いたしました。私としては、怒られても全く反論など出来ませんよ。弁解の余地など全くありません。やめると言われても、引き止める材料などありません。私は、ひたすら謝罪いたしました。

 ところが…

 その時のお母様、こう言っては失礼ですが、実にのんきな顔をしていました。そして「まぁ、こういうことも、あるんじゃないですか。」とまるで他人事。全く意に介していないといった感じでした。テストの点数など、眼中には無いかのように。結局「やめる」などという話は一言も無く、それどころか終始和やかな雰囲気の中、よもやま話に耽っていました。お母様がこのようなご様子ですから、当然娘さんのYもニコニコと実に平和な顔をしていました。ピリピリとした空気が全然無いのです。これには私市場もさすがに救われました…。というよりは、感動しました。

  次の中2の1学期期末テストでは、5教科合計点が440点に回復。その後は大きな失敗はなくなり、中3になると、成績はいよいよレベルアップして、定期テストの最高順位は学年2位、中3最後の北海道学力コンクールでは全道6位、内申点ランクはAランク(当時は“相対評価”であり、Aランクの生徒は全校に1人か2人、いるかいないかだった)。そして、自宅から徒歩1分ほどに位置する札幌南高校に、悠々と合格しました。何の心配もいりませんでした。余裕でしたね…。そして高3の12月に、北海道大学理学部物理系に早々と合格してしまいました(AO入試)。将来は大学に残り、研究職に就きたいそうです。かねてから、「環境問題」に対して強い関心があり、ずっとそれを目指してきたのです。表面上は、いつもおっとりニコニコしていましたが、とても意志が強く、正義感みなぎる生徒でした。

 ここまで、イチロー、野村克也、そして教え子Y、三つの具体例を挙げてきました。ここから一体、何を学び取ることが出来るでしょうか?やはり、大切なのは「プロになる!」といった「モチベーション」であり、「センター前だったらいつでも打てますよ。」という「プロセス」重視の姿勢です。本人にとっての最高の「結果」を得るために。

2006年3月25日 塾長 市場 義朗